【青森県近代文学の名品】

Vol.101 木村助男 方言詩集『土筆(ベベコ)』

  木村助男(1916-43)は北津軽郡飯詰村(現五所川原市)の農家に生まれた。昭和12(1937)年、横須賀海兵団に入団し、日中戦争では水兵として上海・アモイの上陸作戦に参加するなど活躍したが、やがて肺結核を患い、療養生活の末に帰郷する。

 傷痍軍人として生家で暮らしていたある日、木村は、「月刊東奥」の投稿欄で、はじめて方言詩と出会う。病を得て帰郷した自分を温かく迎え入れた郷土のありがたさを実感し、郷土について考え続けていた木村は、「今迄で考へ続けていたのが此れだ! と思はず声を立て」、夢中で方言詩を書き始めた。昭和16(1941)年12月、「秋の夜」がはじめて掲載された。

 当時、この方言詩欄の選者を務めていたのが一戸謙三である。福士幸次郎の地方主義に影響を受け、自らも「津軽エスプリ運動」と称して方言詩を書いた一戸は、投稿作品の指導を通して多くの詩人を育てたが、木村もまた一戸の薫陶を受け、この欄の常連となって方言詩を書き続けた。同時に、一戸、小枝九郎、植木曜介らの方言詩誌「芝生(カガワラ)」の同人としても活動した。

 『土筆(ベベコ)』は、未発表、自選の三十五編からなる方言詩集である。

 詩集の最後を飾る「養鶏」は十ページにわたる長篇詩。病気の治療のため卵を求めたが誰も分けてくれず、自分で鶏の雛五十羽を育て始めた作者が、人々の嘲笑や餌集めの困難など、苦労の末にようやく鶏に卵を産ませるまでを描く。

雪ア降る朝だネ
鶏舎(トリゴヤ)騒々(サワガシ)ふて入つて見れば
温(アツ)だでの卵コ一個(ツ)ころでらネ
卵コ固(ギツ)と握て一年前(メ)から
今日まで此の卵コ握るまで
思ひ出(フンベツ)してる吾の目(マナグ)がら
涙(ナンダ)コ出(デハ)てくるネ
吾ア泣人(ナゲツラ)だべが

 病の中で懸命に生きた詩人の姿が胸に迫る。方言でなければ、そしてこの詩人でなければ描けない世界がここにはある。

 昭和18(1943)年8月、藤田重幸(蘭繁之)により、福田正夫の序文を得て詩集は刊行されたが、わずか11日前の7月30日、木村は27歳の若さでこの世を去った。 「私は、私の親が、その親が、先祖が、神代から親しんで郷土の人が愛用した郷土の言葉で、詩を書く事が郷土の人として、或る一つの務を果してゐるような気がする」――「後記」に綴られた詩人の志は受け継がれ、平成5(1993)年の五十回忌にあたり、甥の木村捷則によって、詩集の復刻と「土筆」の碑の建立が果たされた。

(主幹・佐々木朋子)
(平成21年10月1日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)

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 木村助男 方言詩集「土筆(ベベコ)」
昭和18年8月10日 叙情性クラブ刊


 「養鶏」