蔵書2万冊を郊外に疎開開始

1928年~1945年

東岳村宮田(現青森市宮田)と横内村(現青森市横内)にある民家の倉庫を借り、雲煙家蔵書や藩政資料など貴重資料約2万冊の分散疎開を行った。

1938(昭和13)年から1948(昭和23)年まで館長を務めた吉岡龍太郎は、当時の様子を次のように回想している。

「アメリカが来ても負けるもんかと心に決めていた。心にはそう決めていても青森も空襲で焼かれるのだろうかと思うと、疎開させた貴重資料に対する不安が募るばかりでした。最悪の場面に遭遇しても図書館と資料は館員が一丸となって守って見せると心に決めていたものだ。
 疎開時は館員にずいぶん苦労をかけた。トラックの輸送力も借りたが実際の運搬は館員の労力にたよるしかない時代だった。その苦労は表現しがたい...。B29が八甲田山の上空を爆音たてて通過するたびに、東岳の山をにらみ続けたものです」(間山洋八『青森県図書館運動戦後史』間山洋八, 1970)