青森空襲により青森県立図書館・青森県郷土博物館とも焼失

1928年~1945年

青森県立図書館書庫外観

画像: 空襲による青森市の被害状況を記した『全国主要都市戦災概況図』第一復員省, 1945(『国立公文書館デジタルアーカイブ』より転載)。

7月28日夜、アメリカ空軍B29爆撃機の空爆により青森市は焦土と化した。

地元紙が「読書子は安心されたい 青森市県立中央図書館の蔵書はどんなことがあつても安心です」(「疎開と貸出で」『東奥日報』1945年7月18日)と報じてからわずか10日後のことだった。

空襲の直後に県が取りまとめた報告書(「青森市空襲状況ニ関スル件」1945年8月3日 青防第1015号)には、この空襲による死者731名、重軽傷者282名、行方不明者8名と記されている。

これにより青森県立図書館・青森県郷土博物館とも焼失したが、当時としては珍しい防火シャッターを備えた鉄筋コンクリートの書庫だけは焼け残り、中の蔵書約5万冊は奇跡的に焼失を免れた。

「翌日杖にすがつて漸く歩を運び、あの焼跡に立つてシヤツターの下りた、満腹の書庫を見た時は建築当時の苦心も忘れて、三橋氏と渡辺氏に感謝の誠を捧げた」(佐藤勝雄「図書館回顧(その2)」『三潮』1952年5月号)

「あのなつかしい図書館も戦災で焼け書庫だけが残つたとき『ほんとによかつた』と、その喜びを顔一ぱいに現わしていた図書館の知人をみて、この人達はこんなにも手がける本に愛着を抱いているのかと胸を打たれた」(坂本慶子「図書館随想」『三潮』1952年5月号)