画像: 1950(昭和25)年前後の青森県立図書館玄関。
「昭和二一年一一月二四日、青森市長島県庁舎内第三棟、特別建設局から経済商工課へかけての一角から出火、重要書類は完全に焼失、損害約一千万円に上り電気コンロが原因となったもの」(「県庁庁舎焼失」『東奥年鑑 昭和24年版』東奥日報社, 1949)
この夜、県庁から上がった火の手が隣接する県立図書館書庫の内部に燃え広がり、疎開先から引き揚げたばかりの貴重資料を含めた蔵書のほぼ全てが焼失した。
「県立図書館は二つの書庫を有してゐたが一つは戦災で失ひ残る一つを今回県庁の火災で類焼してしまつた、前回戦災を免れた大英百科事典等の基本図書約四万冊及び同館が十数年間纏めた郷土資料一万一千冊その他雑書を合して合計六万冊時価にして約八十万円代を焼失した、このうち国宝級の書籍は天和画帳、松十文庫、藤田文庫、源氏物語、湖月抄等六千冊で郷土資料一万冊はつい一週間前疎開先から搬入したものである」(「国宝級書籍焼く」『東奥日報』1946年11月26日)
1938(昭和13)年から1948(昭和23)年まで館長を務めた吉岡龍太郎は、当時の様子を次のように回想している。
「火事の夜、私は泣いて警察と消防署に図書館だけは焼かないでくれと頼んだ。警察も消防署も最善を尽くしてくれた。しかし消防ポンプのホースは至るところ破れて水が漏り図書館まで水が届かなかった。図書館は館長の私の前でメタメタに燃えて消えた」
「県庁からの火災で図書館を類焼した時、敗戦後、心のなかで張りつめていた一本の糸がぷっつりと切れてしまった。私の務めは終わりだと思った」(間山洋八『青森県図書館運動戦後史』間山洋八, 1970)
前月に完成したばかりの本館は難を逃れたものの、県庁から焼け出された会計課・統計課の臨時執務場所となったため、翌1947(昭和22)年まで休館を余儀なくされた。