1946年~1952年
画像: 1952(昭和27)年頃の青森県立図書館閲覧室の様子(『青森県図書館関係写真集』より)。
木造平屋建の県立図書館では、閲覧室を一日3~4回の入替制にしなければならないほど大勢の利用者であふれ返る状態が続いたため、県内各地から県立図書館の新築を望む声が上がった。
これを受け、第11回定例県議会において県立図書館新築の経費500万円が計上されたものの、その後しばらく目立った進展はなかった。
「県立中央図書館の敷地が決定し大体の設計図も一応まとまり県民の期待も大きかつたがその後の進捗ぶりは何ら目につかないのはどうしたことか 敷地決定と同時に県では標木を打つて大いに威容を誇示したつもりだつたらしいが、依然として戦災の生々しい焼跡に草ぼうぼうという情なさだ
一方現在のバラツク図書館をのぞいてみると毎日あのせま苦しいゴミツポイ閲覧室が小学生や中、高生だけで大人の姿は余りみられない、恐らくあの設備では入場する方で遠慮したくなるだろう」
「本気で建築敷地の標木まで打つたのならもうそろそろ敷地の整地位はしたら良さそうではないか、県教育委員会は一体このような本格的な面を考えたことがあるのか、どうか、借問したいものだ」(「天地人」『東奥日報』1949年7月16日)