県立図書館建設に関する要望書提出

1946年~1952年

木造青森県立図書館外観

画像: 1950(昭和25)年前後の青森県立図書館。左後方の建物は1948(昭和23)年1月に落成した県庁。

1949(昭和24)年に始まった県立図書館新築工事は県財政の逼迫によりたびたび中断、完成の見通しが立たない状態が続いた。

「現在のバラツクでは不便すぎる、第一三万冊にのぼる蔵書の置き場がない、十坪の書庫はもちろん事務室から当直室、はては物置にまでぎつしり詰め込んでいる始末だ、保存上よくないだけでなく火事でもあつたら一たまりもあるまい、十五坪の閲覧室は一般も生徒児童も一緒で混乱を極める、平日で三交代、夏冬の休みには五交代までしてやつと利用者全員を収容するありさまだ」
 「新図書館で最も期待されるものに固定席六百を備える講堂がある、青森市の悩みは音楽会、講演会など文化的な催しをやる会場がないということだ」
 「だが図書館さえ建てばこうした悩みは一遍に吹き飛ぶ」
 「県民も知事も県議会も教育委員会もできればいますぐ建ててしまいたいに決つている、だが残念ながら青森県は貧乏県だ、金がない」(「いつ建つ県立図書館」『東奥日報』1952年1月18日)

これに対して県内の各文化団体や青森市などは工事継続に向けた猛陳情運動を行っていたが、ついには日本図書館協会長・国立国会図書館長の金森徳次郎が、県立図書館の建設中止は「貴県民の不幸であり、全国に及ぼす影響も極めて大」(金森徳次郎「青森県立図書館建設に関する要望書」『三潮』1952年4月号)として、工事継続を求める要望書を津島県知事と中島県議会議長に提出する異例の事態となった。