1946年~1952年
画像: 移動図書館はと号。左後方の建物は建設中の青森県立図書館。
東北では初の試みとして、「多大の犠牲を払つて移動図書館を購入し(中略)、県下全般の地域社会の文化向上に奉仕しようと」(「教育長の挨拶」『三潮』1952年6月号)県内巡回を開始。
未舗装の悪路に悩まされながらも11月30日までの半年間で県内630カ所を巡回、走行距離は12,000キロメートルにも及んだ。
娯楽の乏しい村々を巡って図書の貸出ばかりか映写会やレコードコンサートまで行う移動図書館は、「軒先文化」として行く先々で歓迎され、人だかりができた。
「よくこの村まで来てくれた、岩屋尻屋といえば誰も来てくれない、是非今晩は泊つて行つてくれ、とせがまれて明日のコースの予定を盾に無理してわかるるつらさ、見送る村人の眼を見るのがつらい」(三潮汀人「「はと」徒然草」『三潮』1952年8月号)
「或るおばあさんなんかは、私の日々の糧のことまで心配して「お前様だち、そつたらだいい車さのつてただで本貸して歩いて一体どうしておまんま食つてるんだ」と済なそうな顔でたずねた」「こんな人々へ対してだつたら私の苦労なんか、火の中、水の中でもまさに屁の河童です」(「私の巡廻日記から」『三潮』1952年6月号)