新館2階・3階と講堂完成

1953年~1964年

新町の青森県立図書館平面図2 新町の青森県立図書館平面図3 新町の青森県立図書館平面図4

画像: 『青森県立図書館案内』(青森県立図書館, 1955)より、県立図書館の平面図。

戦災や進駐軍の接収などによって文化施設が不足していた当時、「博物館、美術館及び公民館的機能をも兼ねて発揮する」(「知事挨拶」『教育広報』1954年11月 4巻4号)ことを期待された県立図書館には、展示室・サロン・講堂が設けられた。

中でも、映写機2台・グランドピアノ1台を備えた講堂は、「当時青森市内には他に行事を催すための施設がなかったため毎日のように朝九時から午後十時まで、演劇・映画・家族慰安会等が開催され」(川村克則「BMと共に去りぬ」『三潮』1993年3月号)、「図書館は知らないが図書館ホールなら知っている」と言われるほど広く県民に親しまれた。

当時の職員は、移動図書館の巡回先での出来事を次のように記している。

「ある村に行ったときの事である。店開きをしていたとき一人の主婦が「図書館ホールでも本を貸すのですか驚いたね......」いやイヤ驚いたのはこっちの方で、びっくりしてしまった。それだけ「図書館ホール」の方が有名であったのである」(同上)