旧書庫解体

1953年~1964年

青森県立図書館書庫

画像: 青森空襲から蔵書を守った青森県立図書館書庫。

1929(昭和4)年完成の書庫は二度の被災と老朽化による傷みが激しく、資料の保存に支障をきたしていた。

「県庁仮庁舎火災の類焼で焼け残った(中略)書庫の中は、資料の焼けた灰がぼつぼつとしていて図書を出す時は、はたきをかけてだしました」
「書庫は雨漏りがひどくなり資料等に影響がでてきました」(西村徳子「月の石など」『三潮』1992年9月号)

このため、昭和39年度当初予算において書庫の新築工事が決定。

「県都青森市の真ん中にただ一つ戦災のなごりをとどめていた県立図書館の書庫が近く姿を消すことになった。同書庫は二十年の同市の戦災と二十一年の県庁の火災と二度の災害に会い、戦後十九年もたった今日まで、薄ぎたないざんがいをさらけ出してきた。
 周囲の建て物がりっぱになるにつれてそのきたならしさはますます目につくばかり。心ある人から「戦争の悪夢を思い出す 早く撤去すべきではないか」という意見なども寄せられたことがあるのだが"予算がない"の一点張りで色あげもされず放任されてきた。
 これが横山図書館長の就任と同時に書庫新築の計画が急ピッチに進み、古いこの書庫は解体されることになった。
 戦災でも焼け残ったがんじょうなコンクリートの建て物だが機関銃のような空気圧縮銃によりみる間にくずされていく」(「戦災名物姿消す」『東奥日報』1964年6月16日)。

県立図書館の蔵書を青森空襲から守り抜いた書庫は、「廃屋のごとき焼け残り」「みにくい残骸」(小野正文「昭和38年をむかえて」『三潮』1963年1月号)として解体され、姿を消した。

なお、書庫の新築工事に伴って児童室・生徒室は閉鎖、一般閲覧室は廊下に仮設した17席のみで開館を続けた。