講堂(図書館ホール)閉鎖

1965年~1993年

青森県立図書館講堂

画像: 青森県立図書館講堂で開催された「図書館音楽会」(年代不明)。

1953(昭和28)年に完成した講堂(図書館ホール)は、「バレエの発表会、日本舞踊、浪曲、民謡、音楽会、映画会...ありとあらゆる催し物がここで開かれた。ファッションショー、ミスユニバースコンテスト、そして葬儀まで。「やらなかったのはストリップだけ」というほど」(「使命終わり図書室に改装」『東奥日報』1971年3月2日)広く利用されたが、1960(昭和35)年の青森市民会館完成に伴い次第に利用が減少。

このため、講堂を閉鎖して生徒閲覧室に改修することが決定し、惜しまれながら18年間の歴史に幕を下ろした。

講堂が「焼け野原に現れた文化の殿堂」(同上)と呼ばれた頃について、当時の県立図書館守衛は次のように回想している。

「簡易保険加入促進大会で広沢虎造がここの舞台に上った時、定員五百人のホールに二千人が押しかけ、新聞紙を敷いて舞台の上までぎっしりほおかむりのおかみさんたちが並んだ風景。ある歯みがきメーカー主催の歌謡ショーに館の前から新町の中ほどまで行列ができ「入れろ」「はいれない」と押し問答のすえ、なぐられる寸前まで行ったり、裏口を破られたり...といった思い出は尽きない。
今考えてみれば命がけで場内整理に当たっていたという気がする」(高坂清勝「閉館」『東奥日報』1971年3月31日)